飛騨高山の歴史(明治以降)

明治維新により東山道鎮撫使竹澤寛三郎(とうざんどうちんぶしたけざわかんさぶろう)が入国し、高山陣屋に天朝御用所の高札を建てました。

明治元年5月に飛騨県がおかれ、同年6月高山県となり、明治4年(1871)筑摩県に移管されるまでの3年6カ月間、梅村速水、宮原積の二人の知事により治められました。

明治元年(1868)3月3日、水戸藩の梅村速水は高山に来て、県知事になりましたが、古いならわしになれた高山の人たちは、梅村の急激な改革には到底ついて行けず、梅村騒動という一揆を起こし、梅村知事を追い出してしまいました。

明治8年に高山一之町(いちのまち)村、二之町(にのまち)村、三之町(さんのまち)村が合併して高山町になりました。

明治9年飛騨は岐阜県にはいり、明治22年(1889)には15,385人で新しい町制が実施され、大正15年(1926)に灘村を合併。

昭和9年(1934)国鉄高山本線が開通して、高山の近代化が急速に進みました。

昭和11年、(1936)に大名田町を合併して高山市となり、昭和18年(1943)上枝村(ほずえむら)、昭和30年(1955)に大八賀村(だいはちがむら)を合併し、現在の高山市となったのです。

高山市公式ホームページより引用

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posted by skyfine at 00:00 | 飛騨高山の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする